曽我部恵一論

(あるメモが見つかった)。

(これはサニーデイ・サービスが「the city」を出した頃に僕が書いたものと思われる)。

(全文をここで紹介しよう)。

 

 

曽我部恵一論①

 

どんどん純度あがってる。

純度=ソカベらしさ。

そんなものあるの?
と言われるとわからないけれど、

聴いていてそう感じてしまうのだから。

 

磨きがかかっている=技巧的になっている

というのではない。

元々ゆるいところはさらにゆるく、

過激は過激に。

やさしさはとことんやさしく。

そして怒り。

 

僕が初期の友部正人が好きなのは、

怒りを感じるからだ。

その怒りは人に?

自分に?

その両方かもしれない。

でも今はそれを感じない。

ソカベはサニーデイデビューから

だんだん怒りを表現してきている。

というか、怒りの表現のキレが上がっている。

年齢を重ねるごとに

怒りの表現に磨きがかかる人も珍しい。

僕はその点において、

同時代人としてのソカベを信頼している。

 

 

続・ソカベ論

 

サニーデイのドラムス・丸山晴茂が亡くなった。

7月15日にソカベのホームページに

その知らせがあった。

その後数日、ツイッターには

何の新着つぶやき情報もなかったが、

その次のつぶやきは

サニーデイ・サービスはいつの時期もいい曲歌ってる」

という、イラスト入りのリツイートだった。

常にいい歌を歌っている。

確かにそうだ。

それはいかにして保たれているのか?

 

ソカベは常に以前の自分を破壊しながら

前に進んでいるんだと思う。

それはしんどいことだろう。

でも、その代わりにいつだって今を生きていられる。

かつてソカベは

「今日を生きよう」

と歌っていた人なのだ。

忘れてはならない。

過去に縛られない。

ソカベの魅力はそこから発しているんじゃ

ないだろうか?

 

 

続続・ソカベ論

 

友部正人は技巧的になってきた。

初期は生活そのものが歌だった。

現在の歌はよくわからない。

いつか良いと思うのかもしれないが。

ソカベは死ぬかもしれないと思わせる。

友部正人も昔はそう思われていたのかもしれない。

わからない。